こんにちは!電子ピアノ情報サイト「Digital Piano Navi」運営者のピア憎です。
クラシック音楽の広大な世界には、星の数ほどの作曲家たちがいますよね。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン…誰もが知る有名作曲家の名前はスラスラ出てきても、「この人とこの人、どっちが先の時代だっけ?」「彼らの間に何か関係はあったのかな?」と、いざ時代の順番や作曲家同士のつながりを考え始めると、頭の中がごちゃごちゃになってしまうことはありませんか?
ただ年表の数字を暗記するだけでは、どうしても学校のテスト勉強みたいで味気ないものです。でも、作曲家たちの意外な人間関係、例えば三大巨匠の師弟の絆や、音楽史を二分した派閥の対立、そして何より「その頃、日本ではどんな出来事があったんだろう?」という流れや背景を知ると、一曲一曲がただの音の連なりではなく、壮大な歴史物語として、より立体的で面白く聴こえてくるから不思議です。
この記事では、そんなあなたの知的好奇心をくすぐる「作曲家クラシック年表」を、有名作曲家の一覧から、彼らの関係性を描いた図解、さらには記憶に残りやすい覚え方まで交えながら、できるだけ分かりやすく解説していきます。クラシック音楽がもっと身近に、そしてもっと深く楽しめるようになる、そんな発見がきっとあるはずです。
- 有名作曲家を時代順に整理できる
- 作曲家同士の意外な人間関係がわかる
- 日本史と西洋音楽史のつながりが見える
- クラシック音楽がもっと楽しくなる豆知識
時代順でわかる作曲家クラシック年表
それでは早速、西洋音楽史の大きな川の流れを一緒に下っていきましょう。ここでは音楽のスタイルが大きく変わる節目ごとに「バロック」「古典派」「ロマン派」といった時代を区切り、それぞれの時代を彩った主要な作曲家たちと、彼らが創り上げた音楽の特徴を詳しく解説していきます。それぞれの時代の空気感や響きを想像しながら、読み進めてみてくださいね。きっと、お気に入りの時代が見つかるはずです。
バロック時代の有名作曲家一覧
バロック時代は、おおよそ1600年から1750年頃まで続いた時代です。美術で言えば、ヴェルサイユ宮殿のような豪華絢爛で、躍動感あふれるスタイルをイメージしてもらうと分かりやすいかもしれません。音楽も同様に、感情表現が豊かで、キラキラとした装飾的な音使いが大きな特徴です。「音楽の父」と称されるヨハン・ゼバスティアン・バッハが亡くなった1750年が、この時代の終わりを象徴する年とされています。
この時代の音楽を理解する上で欠かせないキーワードが「通奏低音」と「対位法」です。
- 通奏低音:チェンバロやオルガンなどの和音楽器と、チェロやヴィオラ・ダ・ガンバなどの低音楽器が、音楽全体の土台となるベースラインと和音を奏でること。このしっかりとした土台の上で、上のメロディが自由に歌うのがバロック音楽の基本スタイルでした。
- 対位法:複数の独立したメロディラインが、それぞれ異なる動きをしながらも、全体として美しく調和するように緻密に組み合わされた技法です。まるで複数の人が同時におしゃべりをしているのに、それが見事な議論になっているような、そんな知的な面白さがあります。バッハは、この対位法の技術を芸術の域にまで高めた巨匠中の巨匠です。
そんなバロック時代を代表する作曲家といえば、やはりこの3人でしょう。
古典派三大巨匠の人間関係
バロック時代の複雑で重厚な音楽スタイルへの反動から、もっとシンプルで、明快で、バランスの取れた普遍的な美しさを求めるようになったのが古典派の時代(おおよそ1750年〜1820年頃)です。「啓蒙思想」が広まり、理性が重んじられた時代背景も、この均整の取れた音楽スタイルに影響を与えたと言われています。
この時代の音楽の中心地は、オーストリアのウィーンでした。そして、この地で活躍したフランツ・ヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの3人は、「ウィーン古典派三大巨匠」として、音楽史に燦然と輝いています。彼らはただ同じ時代に同じ街で活動していただけでなく、お互いに直接的な影響を与え合った、濃密な人間関係で結ばれていました。
ハイドンとモーツァルト:24歳差の美しい友情
「交響曲の父」「弦楽四重奏曲の父」として知られるハイドンは、その温厚な人柄から「パパ・ハイドン」と慕われていました。一方、幼い頃からヨーロッパ中を演奏旅行し、神童として名を馳せたモーツァルト。24歳もの年齢差がありましたが、二人は互いの才能を心から認め合い、深い尊敬と友情で結ばれていました。ハイドンはモーツァルトの父レオポルトに宛てた手紙の中で「あなたの息子さんは、私が知る限り最も偉大な作曲家です」と最大級の賛辞を送っています。モーツァルトもまた、偉大な先達であるハイドンに敬意を払い、自身の弦楽四重奏曲の最高傑作群に『ハイドン・セット』という名前を付けて献呈しました。音楽史の中でも、これほど美しい師弟であり、友人であった関係は稀かもしれません。
ベートーヴェンと師ハイドン:反発と尊敬の狭間で
ドイツのボンから野心に燃えてウィーンにやってきた若きベートーヴェンは、当時すでに大御所だったハイドンに弟子入りします。しかし、この師弟関係は必ずしも順風満帆ではありませんでした。自由奔放で気性の激しいベートーヴェンは、穏やかで秩序を重んじるハイドンの指導にしばしば反発したと言われています。しかし、ベートーヴェンの初期の作品には、ハイドンから学んだ作曲技法、特に「動機労作」と呼ばれる短いメロディを発展させて大きな曲を構築していく手法が、はっきりと受け継がれています。表面上は衝突しながらも、その根底には師への深い尊敬の念があったことは間違いないでしょう。
ベートーヴェンからの流れと覚え方
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)は、単なる一人の偉大な作曲家という枠には収まりきらない存在です。彼は、ハイドンやモーツァルトが完成させた古典派の音楽様式を極め尽くすと同時に、その堅固な形式の枠組みを自らの内面から湧き上がる激しい感情で打ち破り、次のロマン派時代への扉をこじ開けた革命家でした。
彼の生涯と音楽は、しばしば「初期」「中期」「後期」の三つの時期に分けて語られます。
- 初期(~1802年頃):ウィーンに出てきてピアニストとして名声を確立した時期。作風にはまだハイドンやモーツァルトの影響が見られますが、すでに若々しい情熱と個性の萌芽が感じられます。(代表作:ピアノソナタ『悲愴』)
- 中期(1803~1814年頃):持病の難聴が悪化し、絶望から「ハイリゲンシュタットの遺書」を書くも、芸術への強い意志でそれを乗り越えた「傑作の森」と呼ばれる時代。苦悩を克服し歓喜へと至る、英雄的なスタイルの傑作を次々と生み出しました。(代表作:交響曲第3番『英雄』、第5番『運命』、第6番『田園』)
- 後期(1815年~):聴力を完全に失い、世間との交流を絶って内面的な思索を深めた時期。形式はより自由になり、深遠な精神性を湛えた、理解されにくいが究極の芸術ともいえる作品群を残しました。(代表作:交響曲第9番『合唱付き』、後期の弦楽四重奏曲群)
ベートーヴェンがこれほどまでに音楽を変えた背景には、彼が生きた時代の激動があります。1789年にフランス革命が勃発し、「自由・平等・博愛」の理念がヨーロッパ全土を駆け巡りました。ベートーヴェンもこの革命の精神に深く共感し、音楽はもはや王侯貴族を楽しませるためのものではなく、個人の思想や感情を表現し、全人類に語りかける芸術であるべきだと考えたのです。交響曲に初めて合唱を取り入れた『第九』の「歓喜の歌」は、まさにその理念の結晶と言えるでしょう。
ロマン派作曲家の対立と派閥
ベートーヴェンが切り開いた新たな地平には、個人の感情、夢、幻想、そして自らの民族のアイデンティティといった、より主観的で文学的なテーマを音楽で表現しようとするロマン派の時代(おおよそ1820年〜1900年頃)が広がっていました。音楽は、形式の美しさよりも、聴き手の心をいかに揺さぶるかが重要視されるようになったのです。
この時代、特に19世紀後半のドイツ音楽界は、音楽のあるべき姿を巡って二つの派閥が激しく対立し、「音楽の戦争」とまで呼ばれる論争を繰り広げました。
保守派(ブラームス派) vs 革新派(新ドイツ楽派)
| 保守派(ブラームス派) | 革新派(新ドイツ楽派) | |
|---|---|---|
| 主張 | 音楽は音楽そのものとして美しいべきだという「絶対音楽」の理念を掲げ、バッハやベートーヴェンから続く伝統的な形式(交響曲、ソナタなど)を尊重した。 | 音楽は文学や詩、思想と結びつくべきだという「標題音楽」を推し進め、楽劇(オペラを総合芸術として高めたもの)や交響詩といった新しい形式を創造した。 |
| 中心人物 | ヨハネス・ブラームス ロベルト・シューマン クララ・シューマン ヨーゼフ・ヨアヒム(ヴァイオリニスト) |
リヒャルト・ワーグナー フランツ・リスト ハンス・フォン・ビューロー(指揮者) |
この対立は、音楽評論家たちを巻き込み、新聞や雑誌を舞台にした激しい言葉の応酬にまで発展しました。しかし、彼らの人間関係は、この思想上の対立ほど単純ではありませんでした。
例えば、保守派の旗手とされたブラームスは、先輩作曲家であるシューマンにその才能を絶賛されて世に出ました。そして、シューマンが精神を病んで亡くなった後も、その妻で天才ピアニストだったクララを生涯にわたって支え続け、深い愛情と尊敬の念を抱き続けました。この三人の関係は、多くの映画や小説の題材にもなっています。
一方、革新派のワーグナーは、盟友リストの娘であるコジマと恋に落ちます。しかし、当時コジマはワーグナーの弟子でもある指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻でした。この複雑な四角関係の末、ワーグナーとコジマは結ばれ、リストとワーグナーは音楽思想を共にする同志でありながら、義理の親子という複雑な関係になったのです。音楽史という大きな物語も、こうした一人一人の愛憎劇が絡み合うことで、より深みを増していくのが面白いところですね。
国民楽派の代表的な作曲家たち
19世紀も半ばを過ぎると、ヨーロッパ各地でナショナリズム(民族主義)の気運が高まっていきます。それまで音楽の中心地であったドイツ・オーストリアの音楽こそが「普遍的」であるという考え方に対し、「自分たちの国や民族に根差した、独自の音楽を創り出したい!」という情熱が、周辺地域の作曲家たちの間で燃え上がりました。この大きな潮流を国民楽派と呼びます。
彼らは、自国の民謡のメロディやリズム、民族楽器の音色、神話や伝説、雄大な自然の風景などを積極的に作品に取り入れ、民族色豊かなクラシック音楽を次々と生み出していきました。
彼らの登場により、クラシック音楽の世界は一気に多様でカラフルなものになりました。ドヴォルザークが語ったように、民謡は「その国の音楽の土壌そのもの」です。国民楽派の音楽を聴くと、まるでその国を旅しているかのような気分になれるのは、彼らが自国の文化や風土を心から愛し、その魂を音楽に注ぎ込んだからに他なりません。クラシック音楽は決してドイツやオーストリアだけのものではない、ということを彼らは力強く証明してくれたのです。
日本史と紐解く作曲家クラシック年表
さて、ここからは少し視点を変えて、さらに面白い角度から音楽史を探検してみたいと思います。これまで見てきた西洋の作曲家たちが名曲を生み出していた、まさにその同じ瞬間、ここ日本では一体どんな時代だったのでしょうか?「あの歴史上の人物と、この作曲家が実は同時代人だった!」という驚きの事実を知ると、遠い国の出来事だったはずのクラシック音楽史が、ぐっと身近なものに感じられるはずです。
近代・現代音楽の順番と特徴
ロマン派の時代が終わりを告げる19世紀末、音楽は大きな転換点を迎えます。ワーグナーが楽劇『トリスタンとイゾルデ』で用いた、どこにも解決しないような浮遊感のある和声は、長らく西洋音楽の絶対的な土台であった「調性」というシステムを、内側から少しずつ溶かし始めていました。この流れの先に現れたのが、近代・現代音楽の多様な世界です。
その扉を最初に開けたのが、フランスのクロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェルに代表される印象主義でした。彼らはドイツ・ロマン派の重苦しい感情表現を嫌い、まるで絵画の印象派の画家たちが光や空気の変化をキャンバスに捉えようとしたように、移ろいゆく自然の情景や瞬間の「雰囲気」「色彩」を音で描こうとしました。全音音階や教会旋法といった伝統的な調性から外れた音階を使い、輪郭のはっきりしない、夢見るような響きを生み出したのです。
20世紀に入ると、音楽の実験はさらに加速します。
- 原始主義:ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが、バレエ・リュスのために作曲した『春の祭典』。その野性的で大地を叩きつけるような変拍子の連続と不協和音は、1913年のパリでの初演時、客席を賛成派と反対派の怒号が飛び交う大乱闘に陥れたという伝説を持っています。
- 表現主義・十二音技法:オーストリアのアルノルト・シェーンベルクは、「不協和音の解放」を掲げて無調音楽へと突き進み、ついには1オクターブ内の12個の音を平等に扱う「十二音技法」という全く新しい作曲システムを発明しました。これは音楽史におけるコペルニクス的転回とも言える大事件でした。
- 新古典主義:第一次世界大戦後、過激な実験への反動から、ストラヴィンスキーやフランス6人組などが、バロックや古典派の明快な形式やスタイルに立ち返ろうとする動きも見られました。
戦後になると、電子技術の発展と共に「電子音楽」が生まれたり、ジョン・ケージが楽譜に偶然性の要素を取り入れたりと、音楽の概念そのものを問うような、さらに前衛的な試みが繰り広げられます。現代音楽は一聴すると難解に感じられるかもしれませんが、それは作曲家たちが常に「まだ誰も聴いたことのない新しい響き」を求め続けた冒険の記録なのです。映画音楽など、意外と私たちの身近なところにもそのエッセンスは息づいています。
坂本龍馬と同い年の作曲家は誰?
西洋音楽史と日本史。一見すると全く交わることのない二つの流れですが、同じ時間軸に並べてみると、驚くべき「共時性(シンクロニシティ)」が浮かび上がってきます。歴史の教科書で習ったあの出来事の頃、遠いヨーロッパではこんな名曲が生まれていたのか…と想像すると、時空を超えた旅をしているような気分になれますよ。
他にも、こんな興味深い「同時代」の出来事があります。
- バッハ生誕(1685年):日本では江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の治世。有名な「生類憐れみの令」が出されていた、まさにその頃です。ドイツの片田舎で「音楽の父」が生まれた時、日本では犬が手厚く保護されていました。
- モーツァルト生誕(1756年):そのわずか4年後の1760年には、あの浮世絵師・葛飾北斎が生まれています。後に、北斎が描いた『神奈川沖浪裏』はヨーロッパでジャポニスムのブームを巻き起こし、印象派の作曲家ドビュッシーに深いインスピレーションを与えました。実際にドビュッシーは、交響詩『海』の初版楽譜の表紙にこの絵を使うことを強く希望したのです。(出典:フランス国立図書館 Gallica)
このように歴史を横断的に見てみると、文化や芸術が、思いがけない形で影響を与え合っていることが分かります。クラシック音楽を聴くとき、少しだけ日本の歴史に思いを馳せてみるのも一興ではないでしょうか。
世界が認めた日本人作曲家の系譜
明治維新によって長い鎖国を終えた日本は、西洋の文化や技術を猛烈な勢いで吸収し始めました。クラシック音楽もその一つです。当初は、西洋音楽は「輸入文化」であり、学ぶべき対象でした。しかし、それから150年以上の時を経て、日本の作曲家たちは単なる模倣に留まらない、日本人のアイデンティティに根差した独自の音楽を創造し、世界的な評価を獲得するに至っています。
その歴史は、決して平坦な道のりではありませんでした。
受容から創造へ:日本のクラシック音楽史
- 明治期:お雇い外国人教師によって西洋音楽がもたらされ、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)が設立。滝廉太郎の『荒城の月』のように、西洋の音楽語法と日本の旋律感覚が融合した初期の名作が生まれます。
- 大正~昭和初期:山田耕筰らがドイツに留学し、本格的な作曲技法を習得。日本初の交響曲やオペラを創作し、日本のオーケストラの礎を築きました。
- 戦中・戦後:戦争中は音楽活動も統制されますが、戦後は自由な創作活動が再開。多くの若手作曲家が、ヨーロッパの最先端の前衛音楽(十二音技法など)を積極的に学び始めます。
そして、この流れの中から、世界に「TAKEMITSU」の名を知らしめた天才が登場します。
武満徹と、世界へ羽ばたいた作曲家たち
武満徹(たけみつ とおる、1930-1996)は、戦後の日本が生んだ最も重要な作曲家の一人です。彼は独学で作曲を学び、当初はヨーロッパの前衛音楽に強い影響を受けましたが、やがて日本の伝統音楽の中に流れる美意識、例えば「間(ま)」の感覚や、自然の音(ノイズ)と音楽の境界を曖昧にするような音響の扱いに、西洋音楽にはない価値を見出します。そして、琵琶や尺八といった日本の伝統楽器と西洋のオーケストラを共演させた『ノヴェンバー・ステップス』(1967年)を発表。この作品は世界に衝撃を与え、武満は国際的な名声を不動のものとしました。
武満の成功は、日本の作曲家たちに大きな勇気を与えました。彼に続くように、多くの才能が世界で活躍しています。
彼らの音楽は、クラシック音楽というグローバルな言語を使いながらも、その響きの奥底には、紛れもなく日本的な感性が息づいています。もし機会があれば、ぜひ一度、彼らの作品に耳を傾けてみてください。きっと、クラシック音楽の新たな扉が開かれるはずです。
FAQ:肖像画の順番はなぜ?
誰もが一度は目にしたことがあるであろう、小学校や中学校の音楽室の壁。そこにずらりと掲げられた、ちょっと怖い顔をしたおじさんたち…そう、作曲家の肖像画です。あの肖像画について、ふと疑問に思ったことはありませんか?
Q. あの音楽室の肖像画、並んでいる順番に何か意味はあるのでしょうか?
A. はい、その並び順には、実はこの記事で解説してきたことと、全く同じ意味があります。多くの場合、あの肖像画は、作曲家が活躍した音楽史の時代の順番(年表順)に並べられているのです。
おそらく、左から「バッハ → ヘンデル → ハイドン → モーツァルト → ベートーヴェン → シューベルト…」といった順番で並んでいることが多いのではないでしょうか。これはまさに、バロック時代から古典派、そしてロマン派初期へと続く、西洋音楽史の大きな流れそのものを表しています。
なぜ、あのメンバーが選ばれているの?
では、数多くの作曲家の中から、なぜ特に彼らの肖像画が選ばれているのでしょうか。これには、文部科学省が定める「学習指導要領」が関係しています。学習指導要領では、小中学校の音楽の授業で鑑賞すべき楽曲の例として、彼らの作品が挙げられていることが多いのです。つまり、彼らは音楽史において特に重要で、かつ日本の音楽教育の基礎として学ぶべき人物だと考えられている、いわば「クラシック音楽のオールスター」というわけですね。
特に、
- バッハ:「音楽の父」として、音楽の基礎を築いた偉大さ。
- ヘンデル:バッハと同時代に、より大衆的で華やかな音楽で活躍した存在。
- モーツァルト:神童と呼ばれた天才性と、その美しいメロディ。
- ベートーヴェン:「楽聖」として、苦悩を乗り越え人類愛を歌い上げた精神性。
といった作曲家たちは、その音楽的な功績だけでなく、人物像やエピソードもドラマチックで分かりやすいため、子供たちがクラシック音楽に親しむ入り口として最適だと考えられているのかもしれません。
私たちは、音楽の授業を通して、知らず知らずのうちに西洋音楽史の年表の骨格を学んでいたのです。この記事を読んだ後にもう一度、記憶の中の音楽室の風景を思い浮かべてみてください。「ああ、なるほど!」と、点と点だった知識が線でつながる感覚を味わえるはずです。
学びが深まる作曲家クラシック年表
ここまで、バロックから現代まで、そして日本史との意外な接点も含めて、作曲家クラシック年表を巡る旅をしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
この記事を通して一番お伝えしたかったのは、作曲家クラシック年表は、単なる名前と年号を暗記するための退屈なリストではないということです。それは、時代を超えて音楽家たちが交わした対話や、社会の大きなうねりの中で生まれた芸術のドラマを読み解くための、一枚の「地図」のようなものだと私は考えています。
なぜブラームスとワーグナーはあれほど激しく対立したのか。なぜドヴォルザークの音楽はどこか懐かしい響きがするのか。そして、坂本龍馬が日本の未来を夢見ていた頃、遠いフランスではどんなメロディが奏でられていたのか…。そんなふうに、作曲家の生きた時代背景や人間関係に思いを馳せることで、今まで何気なく聴いていた一曲が、全く違う色彩と深みをもって、あなたの心に響き始めるかもしれません。
この地図を手に入れたあなたは、もうクラシック音楽の広大な海で迷うことはありません。この知識を羅針盤として、さらに音楽の楽しみを深めていくための、いくつかのヒントを最後に提案させてください。
知識は、音楽をより深く味わうための素晴らしいスパイスになります。しかし、最後はやはり、理屈抜きでその響きに心を委ねることが一番大切です。この作曲家クラシック年表が、あなたの音楽ライフをより豊かに、よりカラフルにするための一助となれば、私にとってこれ以上の喜びはありません。


